勝手気ままにイラストコラム

音楽・芸能ネタのイラストコラム。育児マンガ・水彩イラストは「Suiの水彩日記」にて。

「かがみの孤城」を読んで感じた、切実な中学生のリアル

長女が本屋大賞をとった「かがみの孤城」を読みたいと言っていたので、購入しました。

そんなに本好きというわけではない長女が500ページ超の辞書みたいなその本を2日で読み終え、「すごく良かった。ママも読んでみて。」というので私も読んだのですが・・・。

 私も2日で読み終わりました。

かがみの孤城

かがみの孤城

 

 

これを読んで子供達の通っている中学校と、自分の中学生時代を思い出しましたね。

狭い世界しか知らないだけに、周囲の人間たちの態度や言葉に想像以上に左右される思春期の子供たち。

読んで感じたことを書きます。

 

 なぜ主人公は中学校へ行けなくなったのか

こころは中1。

でも学校に通えていない「不登校児」だ。

そうなったのは同じクラスの女子たちとの間に起きた、こころにとっては不条理な出来事だった。

家に閉じこもっていたこころだったが、ある日自分の部屋の鏡が光り、その中に吸い込まれてしまう。

その世界はなぜかお城。そして、同じように集まった同じくらいの歳の子供達がいる。

ポカンとするこころやその子供達に、狼の仮面をかぶった少女が

「この城の中にある「願いの部屋」を開ける鍵を探した一人だけが、願いを叶えられる」と言う。

果たして見つけられるのか、そして他の皆はどういう願いを持っているのか・・・。

 

 不登校児・・・

実際に付近の中学校ではかなり多いです。

1クラスに1人、もしくは2人はいる。

もちろん、1人もいないクラスももっとたくさんいるクラスもあるでしょうが、確実に全体の何%はいます。

全然クラスに来ていなくてどんな顔だったか思い出せない、と(長女が)いう子供も珍しくないんです。

 

うちの中学生たち(中1、中3)は今まで学校に行きたくない、と言ったことは1度もなく、楽しく、がんばって通っていますが、それは「友達がいるから」という理由が一番。

確かに学校は勉強しにいく場所ではありますが、毎日10キロ近い荷物を背負って、体育のインターバルで過呼吸の子供が何人もでるようなハードさ、震え上がるような水温でのプール、真水のシャワー、教室で皆の前で一人ずつ独唱させられたり、お腹が空いてもたった15分しかない昼食時間など、私が通っていた中学校よりずっと大変そう・・・。

聞いているだけでゾッとしてしまいます。

 

さらに素行の悪い生徒がいるという理由で、授業中、もしトイレに行きたければ、先生が空いている先生を電話で呼んで一緒に行かないと行けない、とか他のクラスに立ち入る事も、他の階に行くことすら禁止されています。

下着は白、暑くても寒くても、セーターやベストは規定の期間内でないと着てはいけない。

私が「期間外でも、寒ければ着ればいいし、暑ければ脱げばいい」と言うと「だって内申下げられるからできないよ。」との答え。

 

・・・いや、刑務所だってもう少しマシなのでは?

と常々思っているので、たとえ「いじめ」がなかったとしても、一緒に楽しさ苦しさを分かち合える友達がいないという事実だけで、中学校って行きたくない場所だよね。

って常々思っています。

 

そしてこころが中学校に行けなくなった理由は「同じクラスに友達がいない」というだけではなく、女子の嫉妬から恐ろしい思いをさせられたこと。

それは「いじめ」でも「ケンカ」でもないのだけど、悔しさと恐怖でこころの気持ちは壊されてしまいました。

 

学校へ行こうとすると本当にお腹が痛くなる。

・・・でも、家にずっといるのも心苦しい。

どんどん他の子供達から自分が置いていかれる気がする。

だけど、どうしていいかわからない。

 

こころの親も、とても心配して色々な方法を考えてくれるのだけど、それでもこころが実行できないのを見て焦ったり落胆したり。

こころからしてみると「何でお母さんわかってくれないの?」となるんですが、母親の立場から読むと、わかっていてもイライラしてしまう気持ちに共感したり、「よくこんなに辛抱強くこころの答えを待っていられるな」と思ったりしました。

 

(ちょっとネタバレ)

城に集められた子供達は実は、公立中学校へ通っていないという共通点があるのですが、その家庭環境も様々。

こころの親のように子供のために心配してなんらかの対応をしようという親もいれば、そうでない親もいる。

本当に親の考え方も色々。

でも、皆が通う中学校に通えない子供達は、どこかで「このままでいいのか?自分は普通になれないのでは」と不安に思っているんですよね。

 

身動きができなくなった自分を、誰かが救ってくれないか・・・。

でもそんな助けはなく、学校はますます行きづらくなり、勉強もどんどん遅れている。

その焦りで、この先の未来にまで希望を持てなくなっている、たくさんの子供たち。

 そしてどうしていいかわからない親たち・・・。

 

ファンタジー小説ではあるけど、そこには本当に切実な中学生のリアルな姿が描かれています。 

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自分の子供のことを思った

そして思い浮かぶのが、中3の長女のこと。

長女は今までもそんなに人間関係で大きなトラブルに遭ったことはないとは思います。

でも友人同士の板挟みにあったり、女子ならではの面倒な嫉妬に巻き込まれたりという話はありました。

長女が、小学生時代からの女友達と中学生になっても仲良く付き合い続けていると、その友人と仲良くなりたい女子から「あの子が私の悪口を言っている」と言いふらされたり・・。

そんな事実はないのに、被害妄想が膨らんで「そうだった」と思い込んでしまう。

自意識が大きなると同時に、他人との距離の取り方がうまくできない思春期。

さらにこころのように、好きな男子がらみの嫉妬で、たとえばくじ引きでその男の子の隣を引いてしまっただけでも敵対視されたり・・・。

面倒なんてもんじゃないです!

 

主人公のこころが巻き込まれたのもそういう事柄が発端でしたが、担任の先生にはそういう複雑な背景を理解できない。

話せばわかると思っている。

 

この小説の登場人物、マサムネの親は「公立の学校の先生なんてろくな人間がいない」と言っていますが、それは否定します。

小学校でも本当に良い先生はたくさんいました。

・・・ただ、人によりけり。それもまた事実。

残念ながら、私も娘たちの通っている中学校には落胆させられどおしです。

荒れている生徒がいるから、と言って生徒をどんどんがんじがらめにしていくけど、結果荒れている生徒はそんな規則は破り、真面目な生徒はますます窮屈になっているんです。

 

でも、「荒れている」生徒もそれなりの理由があるんでしょう。

確かに先生だけではどうにもできない問題もたくさんあります。

時間の制約、親の存在。

だけど、どうも中学校の先生たちは「これをやっています」というポーズだけとっているように思えて仕方ないんですよね。

で、そういう姿勢は子供も感じているんです。

 

自分が中学生の頃の出来事を思い出した

 そして同時に思い出した、自分の中学生時代。

 

中2の時、私は交換日記などを一緒にしている仲がいい(と思っていた)友達Aさんがいました。

その友達には秘密なしで何でも話していて、私が友人Bさんから聞いた話も、その子には話していました。

 

・・・でもある日女子グループから「Bさんから聞いた話、ベラベラしゃべっているんでしょ?」と言われました。

私が友人だと思っていたAさんが、その女子グループに「(私が)こんなこと言ってた」と密告していたんですね。

その日から女子グループのシカト(無視)が始まりました。

 

確かに私が悪かったです。

親友(だと思っていた)Aさんに、Bさんから聞いたことを話していたんですから。

 

しかしAさんは私に個人的に注意するのではなく、ある日突然1対6人くらいで集まって責めてきたのです。

Aさんが「ねえ、みんなでシカトしようよ」って決めていたんだと思います。

Aさんは美人で面白く、でも意地悪なところがあり、女子グループのリーダー的な存在でした。

おそらく私がBさんからの話をAさんにしていたというのは口実で、きっと私が気にくわないからそのことをきっかけにハズそうと思っていたのでしょう。

 

でも、この1件があって以来、私は誰かから聞いた話を違う人に話す(お互いが知っている同士で)ことは絶対にやめようと思いました。

ある意味人生の教訓になりました。

 

ところで、無視され続けるのは辛いものでしたが、負けず嫌いの私は「学校を休んだら負け」と思っていたので、意地でも通い続けました。

教室に集まってわざとらしく(と思えた)大声で笑い合う彼女たち・・・。

私は居場所がない思いでした。

その代わり家では母に悩みを色々と相談していました。

母に関しては衝突もたくさんありましたけど、この時期私を心配し、いつも励ましてくれたことは感謝しています。

 

それから中3になり彼女たちとクラスが変わりました。

私は新しい友達もでき、塾に通い出して「絶対彼女たちよりランクの高い高校へ行こう」と思い、中2の時点では絶対無理だった高校に入ることができました。

 

それから彼女たちとは接することもないまま卒業して何年かたったころ・・・。

偶然、Bさんと再会しました。

彼女もそのグループと一緒に私のことを無視したままだったのですが・・・。

 

その時彼女は「あの時は本当にごめんね。ずっとあやまりたかった。」と言ってきたのです。

その友人グループの中で、私に怒る理由があるのは彼女だけだったと思います。

でもその話された内容は彼女にとってもそんなに重大なことでもなく、彼女は本当は私に対してそんなに怒っていなかったけど、周りが「怒るべき」だと言ったから、一緒にシカトしてきたのかもしれません。

 

自分自身で、そのことに対して後悔していたから、数年後に偶然会った私にあやまってきたのでしょう。

人を傷つけた人間は、その時ではなくても、その後の人生で、自分も傷つくのかもしれない、と思いました。

 

今も昔も、中学生くらいの時期はなんて大変なんでしょう・・。

そして「今も昔も」というのは実はこの小説にも当てはまります。

 

中学生の頃は家と学校がすべて。

その世界に適応できないと、自分は「普通」じゃないんだと思ってしまうかもしれないけど、そうではない。

もし勇気を出して学校へ行けるようになったらそれはそれですごい事だけど、「学校」という環境でなくても、いろいろな世界がある。

 

嫌な人間はどこにでもいるけど、自分と気の合う人もどこかにいるかもしれない。

いや、たとえ「人」でなくても、この世界には人間じゃない美しいものも素敵なものもたくさんある。

だから、中学校に適応できなくても、今悩んでいる子供たちが自分の居場所を見つけられるといいなと思います。

 

不登校だけでなく社会に溶け込めないと思っている人やその家族、それから先生にもぜひ読んで欲しいなと思いました。

とても素敵な本でした。

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