日大アメフト問題で見えた「洗脳」の怖さと、ホリエモンの教育論
日大のアメフト選手が、関西学院の選手に対して行った悪質タックル問題。
おとといタックルを行なった選手本人が記者会見をし、経緯を説明しました。
これを見て「何でこんなまっすぐな若者が、こんなひどいプレーをしてしまったんだろう」
とあらためて思いましたね。
しかしそれを受けてか、昨日ようやく会見を開いた、監督とコーチ。
「やっぱりだな・・・」という感じでしたね。
なんとか「そういうつもりじゃなかった」と逃げ切ろうとしてる。
この会見は日大の現役選手たちからも怒りの発言が相次いでいるとか・・。
他の選手たちも、悪質プレーをしてしまったのはもしかして自分だったかもしれない、と人ごとではないんだと思います。
この若者も怪我させられた若者も、間違いを認めないこんな大人達に未来を歪められてしまった。
普通に考えたら「おかしい」と思うことも、絶対的な立場の人間からの命令でや流れの中で、追い込まれてしまう場面があることは想像できます。
戦争はその典型ですよね。
タックルした選手はしばらく試合に出させてもらえないなど精神的に追いめられていて、悪質タックルせざるを得ないような精神状態にまでなっていました。
まるでマインドコントロールです。
若者が強い立場の人間の言うこと拒否できずに「潰される」ことのないようにするにはどうしたらいいか?
そもそも、いまだに日本での「教育」は戦時中からあまり変わっていない、「目上の人から言われたこと、ルールを何が何でも守ること」に重きを置いています。
「理由」なんかない。そこに「ルール」があるから、だから皆守るべきなんだ。
というような、思考停止して従うのが良いと言わんばかりの教育。
つくづく疑問を感じていた時に、堀江さんの書いたこの本がamazon primeの電子書籍になっていたので、興味が湧き読んでみました。
すべての教育は「洗脳」である?21世紀の脱・学校論? (光文社新書)
- 作者: 堀江貴文
- 出版社/メーカー: 光文社
- 発売日: 2017/03/17
- メディア: Kindle版
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学校、そして会社は「洗脳機関」である
学校は「知識」ではなく「常識」を植え付けるための機関。
そしてその目的は「従順な働き手」を養成するためである。
これは本当にその通りです。
私の別ブログでは何度も書いているんですが、子供が中学校に入って驚いた事がいくつもあります。
教科書は毎日全部持ち帰りさせる。
お弁当・水筒、ジャージなどの荷物も入れると全部で10キロくらいになるので、大人でも持ちたくないような重さ!
持ち帰って勉強するため、と理由はつけていますが、全部勉強しないよ、普通。
さらにたくさんの「無意味」なルール。
制服着用というのは、生徒が服に悩まなくてすむこともあり、ある程度は納得できます。
だけど、靴下は白・黒・紺だけとか、下着は白とか、決める意味がわからない。
暑くてもなんでも夏服移行期間まではジャケット・ネクタイ着用などは、もはや健康を害します。
その理由が「将来スーツを着るときに困らないようにするため」!
・・・でもそういう先生がスーツ着ていない。笑
他にも短かすぎる昼食時間(15分以下)、トイレに授業中行きたくなったら先生と一緒に行くとか、他のクラスや階には立ち入り禁止など、まるで刑務所か強制収容所です。
中学校は「子供のための教育を受けさせる場所」ではなく、「ルールに従うことを叩き込む場所」なんだ!と子供を通して実感しました。
会社もまた「洗脳機関」である
今の日本の大多数の会社はまるで「軍隊制度」。
パワハラやセクハラだらけの非合理的で旧態依然とした組織のまま。
若ければ若いほど、素直なら素直なほど、学校で受けた洗脳は強力に刷り込まれます。
暑くてもジャケットを着続けることや重いだけで必要のない荷物を運んだりするように、自分の精神や身体が限界を迎えても「やめる」と言えない人たち。
真面目で勤勉な人ほどその呪縛にがんじがらめになってしまう。
その結果、過労死や鬱による自殺が多くなって。いったい何のための「教育」なんだか・・・。
貯金型思考から投資的思考へ
この本の中では、教育的「洗脳」だけでなく、日本を覆っている常識的「洗脳」についても触れています。
将来のために学校へ通うという方法は「費用対効果」「時間的効果」があまりにも悪い。
従来の「貯金型思考」で「ゼロリスク」 を目指しても、良い変化も受け取れない。
日本では、バブルがはじけて痛い目を見た人たちのインパクトが強く、「儲からなくてもいいから、損したくない」というマインドの人が多数になったのではと思います。
保険会社もさかんに「いざという時のために」と不安をあおるので、大体の人は保険に加入。
貯金的思考が広まったのは太平洋戦争に突入する時代で、戦費として徴収するため貯金が美徳(というか義務)とされたようです。
でも堀江さんは「今」にお金を使うべきだ、と主張。
その意味は「先」のために今の1万円を貯金するのではなく、知恵を使って投資的リターンを得るということです。
たとえば1万円で買ったりんごの実を売って利益を得る。
でもそのまま売ったんじゃ大した利益にならない。ならばどういう付加価値をつけるのか?それに成功したら、毎年りんごは1万円以上の価値を大きく上回る収益を生み出し続けるでしょう、ということですね。
つまり、1万円を貯金したり使ってしまってなくすようなマインドでは、いつまでたっても時間を切り売りする労働者のままだという事でしょうか。
さらに堀江さんは「大学なんて全部無意味!」とまで言っています。
まあ堀江さんは頭が良いのは証明されていますからね・・・。
私は「この人はこの大学に入るほどの知識があり、また努力する力がある」というバロメーター的役割はやっぱりあると思います。
内容によっては専門的なことを教えてくれる学部もあるし・・。
とはいえ具体的な目標もないまま高額な学費を払って学校へ通うのはお金も時間も無駄ですよね。
堀江さんはその上で皆が「レア人材」を目指せ、という持論を展開しています。
親として、子供に何を伝えるか
アメフトの洗脳問題から最後はかなり離れましたが、とにかくこの本は前時代的な「洗脳」教育を解いて、能動的に自分で切り開いて行きなさい、ということを言いたいんだと思います。
すべての分野とは言い切れませんが、軍隊めいた日本の教育や社会が、これからの個人の幸せな生き方の指標にならないのは同感です。
当たり前かのように押し付けられている「意味のない・もしくは理不尽な常識」にただ従う、我慢だらけの生活ではなく、自分が没頭できることを見つける。
そのためには能動的に自分の頭で考えて行動する。
とはいえ、自分が没頭できるものが見つからないという人も多い。
以前書いた「石田さんチ」で美容師をやめた末っ子も、今ごろは没頭できるものが見つかっているでしょうか・・?
堀江さんは「誰でも没頭できるものが見つかる」と書いていましたが、実際は没頭できるものが本当にない、という人もいるのは事実。
その場合は、「誰かに必要とされていることを仕事にする」というのも立派な動機だと思います。
その気になればスマホ一つで商売もできるのが今。
「昭和」どころか「平成」もそろそろ終わる今、人の生き方や仕事のあり方はどんどん変わってる。
だって私が子供の頃、携帯電話を皆が持っているなんてただの「夢」でしたからねー。
それどころか今じゃスマホという名の、四次元ポケットのような物を持ってるなんて!
自分の発想次第で多様な生き方ができるはず。
しかし、その中でなくしてはいけないもの・・。
人間同士の「信頼」は簡単には育たないし、そこはこの先も大事にしていかないといけないと思っています。
さて日大の悪質タックルの話に戻りますが、タックルした選手はアメフト部をやめるようです。
もしかして日大自体もやめたくなっているかもしれません。
今まで彼が色々なものを犠牲にして取り組んできたアメフトをやめるのはどんなに辛いでしょうね・・・。
でもこの事を乗り越えて、これからの人生でいくつも出会うかもしれない、おかしいなと思うことや理不尽なことにはちゃんとノーと言えるようになってほしい。
ただ、怪我した選手がいるのは事実。後遺症などが残らないのを本当に願います。
そして自分の子供達にも「自分の基準」をしっかり持って「自分の幸せのカタチ」を見つけてほしい。
そのためのヒントになると思うので、この本は読ませようと思っています。